舞鶴引揚記念館
昭和20年(1945)第二次世界大戦の終結当時、海外に残された日本人は一般邦人を含めて660万人とも言われています。これらの方々
の帰国地の1つとなった舞鶴港では、昭和20年10月7日から昭和33年9月7日までの13年間、昭和25年からは唯一の引揚げ港として
66万4531人の引揚者と1万6269柱の遺影をお迎えしました。 「岸壁の母」の舞台となった桟橋も朽ち果て、年々遠ざかりつつある悲惨
な戦争や引き揚げの史実を語り継ぎ、平和の尊さ、平和の祈りを発信する記念館として昭和63年に開館した施設です。
舞鶴引揚記念館の地図は 舞鶴引揚記念館の詳しい情報は

舞鶴引揚記念公園
当時は平(たいら)の入り江に2つの桟橋があり、近くには引き揚げ援護局などの建物が並んでいましたが、今は合板の工業団地と化し、
その面影も残っていません。すぐ南の小高い山の上、眼下に平の入り江が見下ろせる場所に引揚記念公園として整備され、その一角に
舞鶴引揚記念館も建てられています。引揚者を含めて多くの方々が植樹された桜が咲き誇る、桜の名所にもなっています。

平 桟 橋 跡
元の平桟橋の近くに復元された引揚桟橋と語り部の鐘 引揚船「興安丸」と引揚桟橋復元趣意書、背景が当時の平桟橋


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